twitter上でのイベント?行為について起こるかというと

twitterという「手段」について、これを目的にしたりする勘違いがだいぶ増えてきた。
twitterユーザ数が増えてきたことに由来するが、世間的にとりあえずなんでもかんでもtwitterを利用しようという嫌いがある。

少し前の調べではtwitterの認知率は6割位に達するらしい。
翻って使用率になると3割程度、日常的に使用している割合で言うともっと下がるだろう。
つまり、twitterという手段はまだまだマイノリティであることがわかる。

では、なぜこんなマイナーな手段を無理矢理使おうとするのか考えてみる。
twitterは択一的ではない
140文字という容量の少ない文字のみの伝達ということで、おのずと情報量が限られるため、これだけですべてを表現したり伝える事はなかなか難しい、よって他の手段やサービスと連携させる使い方が主流になりつつある。
これは、既存のメディアとも相性が良く、補完的に利用することが可能となる。
・盛り上がってきた
各種情報機器によってtwitterを自由自在に使える環境が広がってきたことがある。
特に携帯機器での使われる機会が増えてきている。
入力環境がリッチではない携帯端末でも文字のみ、140文字程度なら気軽につぶやける、これにより利用者の裾野が広がった。
・使いたい人がいる
たぶんここが一番重要。
なんとなくtwitterをはじめとするSocialなもの、twitterと相性のよい携帯機器、これらで情報発信をするリテラシーの高い層、そういったものに目を向けてますよ、良く知ってるんですよ、先行してるんですよ、そういうイメージを見せたいがために使ってることをアピールしたい、そんな目的が見える。

で、最初に戻って、twitterは情報伝達の手段の一つである。
にも関わらず、それを「目的」にしたい人が出てきた。
その結果何が起こるかというと、twitterでやるのにあまり適していないことも無理矢理twitter上で展開しようとしてしまうケースが出てくる。

twitterはそれ自体では非力だ。
せいぜい@で投げかけたり、#で検索可能なタグくっつけるぐらいで、後はすべてつぶやく人と見る人のレベル(クライアントの補助含む)によって、うまく使えるかどうかが決まってくる。

ここで、下記イベント?について考えてみる。
・特定のアーティストの話題に関するつぶやき → タグが決まっている
・曜日と時間が決まっていて、そこに「集合」することになっている → その決められた時間帯に当該タグを付けてtweetすることがイベントに参加することと看做される
・特定のモデレータ・オペレータはいない、あくまで参加する個々に任される → イベントを呼びかけたアカウントもあるが、あくまで一参加者の位置づけ
・参加者の多くはtwitterの利用歴が浅く、十分に使いこなしている人ばかりではない → 仕組みが分かっていない状態
こういう前提条件のもと開催されるイベントがある。
呼びかけているのは、いわゆる企業アカウント、当然のことながらプロモーションに利用したい意向である。
参加するのはごく普通のアーティストのファン、しかも少し年齢層は高い、つまり日常的にtwitterを普段から使いこなしている層ではない。
ここに、アーティストがtwitterを始めた、という情報が流れ、お約束のようにそのファンも使ってみようという流れになる、当然のこと。
結果として、twitterを使いこなせていない多数の人々がこのイベントらしきものに臨むことになった。
まず引っかかるのがタグがわからない、いつ付けたらいいのか、付けたらどうなるかがわからない。そうなるとタグの意味付けは崩壊する、機能しなくなる。
次に、開始当初なのでfollowしている数が少ない、つまり目にするtweet数が少ない状態が普通なのに、そのイベントらしきもの(タグ)を覗くとかなりの速度でtweetが流れると、見れない、ついていけない、疎外感が起こる。ROMユーザの誕生である。
そして、イベントというにも関わらず主催者がいないので、流れ開始・流れ解散が常套になる。
なんとなく始まって、なんとなく終わる、もちろん事前に時間が告知されているが、それだけで仕切れるもんじゃないだろう、開始・終了の合図はイベントの基本、それがない。グダグダになるのは明らか。
でも、最も問題な点はこれ、何故そのイベントらしきものに集まっているのかわからないこと。
主催者はこう書く。「〜時に集まってxx(アーティスト)に関することをつぶやこう、yyのタグを付けて」

それってイベントじゃないだろ?
主にアーティスト・グループ系のタグはそのアーティストのことを話題にするtweetに付けるためのもので、別にそんなこと時間指定される覚えはないし、ハッシュタグってそんなもんじゃない。
それに、集まって何があるの?何がおいしいの?

おいしい点は確かにいくつかあった。
・アーティスト本人が出てくる可能性があること
これは結構大きい、が必ず起きるわけでもない。当然である、twitterの使い方を強制される義務は誰にもない
・そのアーティストのファンが掘り起こせた
これは呼びかけの効果である。が、それは定時イベントという形でなければならなかったか、というとそうではない
・アーティストを含む関係者に直接的に意見を投げる事ができる
これも一見イベントの効果?と思えなくもないが、これはtwitterの仕組みに寄るところである。
要は相手のアカウントがあり、そこに見える状態で情報を渡せれば済む話であり、特にイベントの形式は必要ない。ただし、イベントという時間限定にすることによって、関係者側のリアクションを誘いやすくする効果はあったと考えられる

ということで、少なくとも多少のメリットがあることで、参加する人は確実に増えたようだ。
で、もう一度原点に立ち戻ると、そのメリットを除くと、やっぱり「なぜそのイベントらしきものがあるのかどうか」わからないことが残る。

企業アカウントであれば、積極的に宣伝するという目的があるし、上記メリットにもあるように純粋に関係者とファンをつなげる、という橋渡し目的とすることもできるし、同様にファン同士の交流を深めるため、ともできる。
ただ、どれを目指すにも定義が必要だ。それが参加者に伝わらなければ、そういう風にまとめることはできない、あくまでもtwitterの使い方は各自の自由であり、特に指定がない限り各自の好きなようにつぶやくのが基本だからだ。
よって、定時に集まる以上の定義が何もないこのイベントらしきものは、発散する、至極当然。
しかもそれが、4時間もあるって、意味不明すぎる。
明確な目的があるならまだしも、無目的な集まりが4時間も維持できるわけはない。
時間中ダレルのも当然、仮に目的があったとしても4時間は長い。
自身もこの4時間にどこか無理して付き合ってるんだというのに、やっと気付いた。

もう一度書くと、こんなのはイベントではない。
それは何より参加者が意識している、気付いていないのはおそらく主催者だけ。
このまま何の対策もなく、さらに回を重ねるのはおそらく不可能だろう、どこかで廃れ始める。
それがアーティストへの悪影響にならない事を願う。